良寛さんとは

良寛和尚の略年譜 / 円通寺所蔵良寛遺墨( 漢詩幅 / 和歌の部 / その他 

良寛和尚の略年譜

年 号 西 暦 良寛年齢 事 蹟
宝暦8 1758 12月出雲崎の山本以南、秀子の長男として誕生 幼名は栄蔵  
明和5 1768 11 大森子陽の塾に入る
安永2 1773 16 元服、名を文孝、通称を新左衛門と名乗り、名主見習い役となる
  4 1775 18 7月 尼瀬の光照寺にて破了和尚について剃髪
  8 1779 22 国仙和尚について光照寺より出家得度し十月末円通寺に安居
法号貞観を良寛と改める。
寛政2 1790 33 冬国仙より印可証明の偈をうく
  3 1791 34 3月18日国仙示寂、間もなく玄透入山6年に竜穏寺
翌年永平寺に昇任
  7 1795 38 7月父以南没す、中陰の法要に列し、帰国す
  9 1797 40 国上山五合庵にあり
享和2 1802 45 寺泊照明寺に仮寓す
 3 1803 46 本覚院或いは野積の西生寺
文化1 1804 47 五合庵に入る
  13 1816 59 乙子視畔に移る
文政9 1826 69 島崎木村家別舎に入る
文政10 1827 70 貞心尼福島の●魔堂へ移る、島崎へ貞心尼が訪れ発会する
文政11 1828 71 11月12日 三条に大地震
文政12 1829 72 貞心尼が二度の来訪
天保1 1830 73 夏、与板の山田家で貞心尼と会う、この頃より床に伏す。
冬、貞心尼・弟 由之が看病の為島崎へ
天保2 1831 74 正月4日 由之二度島崎へ、6日示寂 8日 葬式
明治5 1872   貞心尼 柏崎にて死去 75歳

円通寺所蔵良寛遺墨『漢詩幅』

解説・・・吉川彰準

五言詩

自来円通寺知幾春冬 門前千家邑

更不知一人 衣垢手自洗 食尽出城いん

会読高僧傳 僧可々清貧 (田代亮介寄進)

円通寺に来りしより、幾春冬なるを知らず 門前千家の邑、 更に一人だに知らず、衣垢づけば手づから洗ひ、食尽くれば城いんに出づ 曾って高僧伝を読みしに、僧は可々(かなり)に清貧なりき。 結局の読み方について、「僧は清貧に可なるべし」が常識化されているが、 良寛が、良寛が常に愛読していた寒山詩に「昔日可々貧 今日最貧凍」がある。「可々」はかなり、相当と解せられる。そして円通寺所蔵の黄檗版大蔵経の中 の梁高僧傅、慧皎撰には、「釈僧郡は、清貧にして節を守り、蔬食して経を誦す」。群僊は 「水を飲んで飢えず、困って粒を絶つ」の一節があり、また釈法恭は 「少なくして苦行、倫に殊なり、布衣を服し、菰麦を餌とし、経を誦すること三千餘万の言毎夜 諷詠す」と記され、又「僧恭は○粮を食せず」とあるのを拝見して、当然のことながら、 求道一途の活三昧で、清貧に甘んじた高僧は、古今を問わずかなりあった事が明白である。 したがって結句にちいては、歴史的事象をふまえながら、言辞的に考察して 「僧はかなり清貧なりき」と読むべきであろう。

五言詩

対君君不語 不語意悠哉

帙散床頭書 雨打簾前梅

君に対すれども君語らず、語らざるは意悠なるかな 帙は散ず床頭の書 雨は打つ簾前の梅これは念持仏石地蔵に対しての詩で現在現在出雲崎の良寛堂にある。

五言詩 夢中問答

乞食入市てん 道逢旧識翁 門我師胡為

住彼白雲峰 我道子胡為 占此紅塵中

欲答両不答 夢破五更

食を乞うて市てん●に入り、道に旧識の翁に逢ふ我に問う師なんすれぞ 彼の白雲の峰に住むやと  我は道ふ子なんすれぞ 此の紅塵の中に占むるやと 答へんと欲すれど両ながら答へず 夢は破らる 五更の鐘

五言詩 秋夜偶作

覺言不能寝 曳杖出柴扉 陰虫鳴古砌

落葉辞寒枝 渓深水聲遠 山高月色遲

沈吟時己久 白露霑我衣

覺めてここに寝る能はず 杖を曳いてさいひを出づ、陰虫古せいに鳴き 落葉漢詩を辞す。 渓深うして水聲遠く 山高うして月色遲し。沈吟時すでに久しく白露我が衣をうるほす。

円通寺所蔵良寛遺墨『和歌の部』

解説・・・吉川彰準

春の夜

春の夜の おぼろ月夜の 一時を

   誰がさかしらに 植ひつけけむ

乙子時代の作、 蘇東坡の「春宵一刻直千金」の語からヒントを得ての作であろう

国上にて読める

来てみれば

我がふるさとは

荒れにけり

庭もまがきも

落葉のみして

はげしう風吹き花の散りけるを

久方の

あまぎる雪と

見るまでに

降るは桜の

花にぞありける

画賛、妹みかの画、賛が和歌

わがやどを

いづくととはば

   答ふべし

あまの川原の

   はしの東

俗謡 やちぐさの花、画賛

み山おろしの 小笹の霰 あなたへさらり

こなたへさらり さらりさらりとした心

画は東台山樵筆

画賛石の画道友虎班和尚筆

如是画如是賛

手毬の長歌

(これは五合庵末期の秀作、大宮季貞寄進)

あずさ弓 春さりくれば 飲乞ふと

里にゆけば 里こども 道の巷に手毬つく

みちのちまたに手毬つく(衍字)

我も交じりぬ そがなかに

ひ ふ み よ い む な

汝がつけば 我が歌ひ 我が歌へば

汝はつき つきて歌ひて

霞たつ 長き春日をくら

しつるかも 霞たつ ながき春日を

 子供らと てまりつきつつ

 この日暮しつ

円通寺所蔵良寛遺墨『その他』

解説・・・吉川彰準

五言詩

生涯懶立身 謄々任天真 嚢中三升米

炉辺一束薪 誰問迷悟跡 何知名利塵

夜雨草庵裡 雙脚等聞伸

朝つく日 むかひの岡に 小男鹿たてり

神無月 時雨の雨に ぬれつつ立てり

乙子草庵時代の作、 乙子社詩碑原本

(池浦彦太郎寄進)

俳句

秋日和

千羽雀の

羽音かな

俗謡(五合庵時代末期の書)

ふるさとを はるばるへだて ここに 隅田川

みやこ鳥に言(こと)問はむ 君はありやなしや

(田代寄進)

貞心尼の短冊

池上寒月

むかひ●いて 見るもさなけし かかみなす

いけのこほりを みかく月かげ

(中邨光賢旧歳)


円通寺開山
徳翁 良高大和尚頂相